上野由岐子 北京オリンピック - 1 / アメリカに敗れてから約5時間後にオーストラリア戦が始まった。上野投手が先発した。初回から1点取られるなど、立ち上がりは思わしくなかった。 日本は四回に2点を奪って逆転。そして最終回の七回、2死まで取り、あと一人で決勝進出というところまで来た。 しかし、そこで同点ホームランを打たれてしまう。 峰選手は「簡単には勝たせてくれない。これがオリンピックか、と思いました。また、少しでも気を抜いた方が負けるんだ」と気持ちを入れ直した。 延長タイブレークに突入。結果的に日本はサヨナラ勝ちをするが、上野投手は十二回までの5回を余分に投げることになってしまう。 この日2試合で318球を投げた後遺症は大きかった。ボールに回転を伝えるために最も大切な右手中指の皮がはがれ、肉がむき出しの状態になってしまったのだ。 心配させまいと、上野投手はチームメイトに知られないようにしていたが、峰選手には打ち明けていた。峰選手は「オーストラリア戦の後、選手村で指の状態を見せてもらいました。もう投げられないんじゃないかと思いました」と振り返る。 しかし、アメリカを抑えられるのは上野投手しかいなかった。峰選手は「上野さんの疲労も指の具合も心配でしたので、力勝負はできないと配球のプランを変えることにしました」. Dec 06, 2018 · 2008年北京オリンピック・ソフトボール。 日本のエース上野由岐子は決勝トーナメント3試合を完投。 2日間で413球を投げ抜き優勝に導いた名シーンを紹介する。 See full list on yomiuri.co.jp See full list on yomiuri.co.jp 峰選手は体の疲労は感じなかったが、脳は疲れていた。それでも、決勝でのアメリカ戦の配球を考えた。 実は、負けたアメリカとの試合で手ごたえを感じていたのだ。「相手打者が、どのカウントで強いスイングをしてくるのか、どの球種を狙ってきているのかを知ることができました。苦手とする球種もよくわかりました」 こうしたデータを分析し、「相手打者に狙いを絞らせない」「かわすところ、攻めるところのバランスを良くする」ことを心がけようと決めた。 そして、アメリカ打線に通用したシュートを「攻める時、困った時に強気で使う」ことを決めたのだ。 疲労の残る上野投手に、「世界一の剛速球」は期待できない状況だった。実際、決勝のアメリカ戦の最速は107キロで、1日目よりも5キロ落ちていた。このため、配球のプランは「打たせて取る」。「相手打者の嫌がるゾーンを丁寧に攻めようと考えていました」 峰選手は、上野投手が持つもう一つの世界一の能力「コントロールの良さ」を信じ、最大限に生かそうと決めていた。 See full list on yomiuri.co.jp
愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 See full list on yomiuri.co.jp 18 hours ago · ソフトボール上野由岐子 <東京オリンピック(五輪):ソフトボール・日本2-0米国>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム 日本が米国を下し、前回実施された2008年北京五輪に続く金メダルを獲得した。 5 hours ago · 26歳で北京五輪を制し、39歳で迎えた東京五輪でも頂点に立った。 13年間で上野由岐子(ビックカメラ高崎)の何が変わったのか。 See full list on yomiuri.co.jp
5 hours ago · 26歳で北京五輪を制し、39歳で迎えた東京五輪でも頂点に立った。 13年間で上野由岐子(ビックカメラ高崎)の何が変わったのか。 See full list on yomiuri.co.jp See full list on yomiuri.co.jp 峰選手は体の疲労は感じなかったが、脳は疲れていた。それでも、決勝でのアメリカ戦の配球を考えた。 実は、負けたアメリカとの試合で手ごたえを感じていたのだ。「相手打者が、どのカウントで強いスイングをしてくるのか、どの球種を狙ってきているのかを知ることができました。苦手とする球種もよくわかりました」 こうしたデータを分析し、「相手打者に狙いを絞らせない」「かわすところ、攻めるところのバランスを良くする」ことを心がけようと決めた。 そして、アメリカ打線に通用したシュートを「攻める時、困った時に強気で使う」ことを決めたのだ。 疲労の残る上野投手に、「世界一の剛速球」は期待できない状況だった。実際、決勝のアメリカ戦の最速は107キロで、1日目よりも5キロ落ちていた。このため、配球のプランは「打たせて取る」。「相手打者の嫌がるゾーンを丁寧に攻めようと考えていました」 峰選手は、上野投手が持つもう一つの世界一の能力「コントロールの良さ」を信じ、最大限に生かそうと決めていた。 See full list on yomiuri.co.jp Feb 28, 2018 · 女子ソフトボール日本代表のエース上野由岐子の"熱投"は、数あるオリンピックの名場面の一つとして人々の心に深く刻まれている。 2008年北京オリンピック。 愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 18 hours ago · 地元の中高年ファン50~60人が見守る中、野太い声援を受けてマウンドに立ったのは、北京五輪で女子ソフトボール日本代表を金メダルに導いた立役者、上野由岐子投手(30)。
18 hours ago · 地元の中高年ファン50~60人が見守る中、野太い声援を受けてマウンドに立ったのは、北京五輪で女子ソフトボール日本代表を金メダルに導いた立役者、上野由岐子投手(30)。
See full list on yomiuri.co.jp More images for 上野由岐子 北京オリンピック » See full list on yomiuri.co.jp 世界は「打倒・上野」を目標に配球データを集め、分析して対策を練ってきていた。しかし、峰選手は「私の配球のデータはあまり分析されていなかった。アメリカが『あれ?』と苦戦する感じがわかりました」という。 さらに、上野投手をサポートするために、細かく動きまわった。一度内角に構え、そこでミットをパンパンと叩く。内角に構えてそこに投げさせると打者に思わせて、実は外角に投げさせる。その逆もある。こうして、コースを打者に読ませない工夫もしていた。 日本は三回表に先制し、四回表に追加点を奪う。上野投手はアメリカ打線を三回裏まで0点に抑えた。 そして、2点リードした四回裏。ランナーなしの状況で、バストス選手を迎える。 真っ向勝負を挑んだが、外角低めに投じた速球を拾われ、今度はライトスタンドに運ばれた。 See full list on yomiuri.co.jp See full list on yomiuri.co.jp See full list on yomiuri.co.jp 愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 18 hours ago · ソフトボール上野由岐子 <東京オリンピック(五輪):ソフトボール・日本2-0米国>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム 日本が米国を下し、前回実施された2008年北京五輪に続く金メダルを獲得した。 アメリカに敗れてから約5時間後にオーストラリア戦が始まった。上野投手が先発した。初回から1点取られるなど、立ち上がりは思わしくなかった。 日本は四回に2点を奪って逆転。そして最終回の七回、2死まで取り、あと一人で決勝進出というところまで来た。 しかし、そこで同点ホームランを打たれてしまう。 峰選手は「簡単には勝たせてくれない。これがオリンピックか、と思いました。また、少しでも気を抜いた方が負けるんだ」と気持ちを入れ直した。 延長タイブレークに突入。結果的に日本はサヨナラ勝ちをするが、上野投手は十二回までの5回を余分に投げることになってしまう。 この日2試合で318球を投げた後遺症は大きかった。ボールに回転を伝えるために最も大切な右手中指の皮がはがれ、肉がむき出しの状態になってしまったのだ。 心配させまいと、上野投手はチームメイトに知られないようにしていたが、峰選手には打ち明けていた。峰選手は「オーストラリア戦の後、選手村で指の状態を見せてもらいました。もう投げられないんじゃないかと思いました」と振り返る。 しかし、アメリカを抑えられるのは上野投手しかいなかった。峰選手は「上野さんの疲労も指の具合も心配でしたので、力勝負はできないと配球のプランを変えることにしました」 1点のリードを保ったまま、六回裏を迎えた。 先頭打者にヒットを打たれ、1死2塁で再びバストス選手を迎える。勝負するのか、敬遠か。選手、監督がマウンドに集まった。 上野投手はここで「敬遠」を選択する。チームの勝利を優先し、真っ向勝負は避けた。 峰選手は「上野さんと同じ気持ちで『ここが勝負所だ』と思い、円陣の中で敬遠を確認しました」。しかし、続くバッターを四球で出塁させてしまい1死満塁。最大のピンチを迎え、再び内野手がマウンドに集まった。 内野手が上野投手と峰選手に「打たせてもいいから、思い切りいこう」と声をかけてきた。これで仲間を信じて勝負球を投げることができる。もちろんそれは、この日のために磨き上げてきたシュートだった。 続く2人の打者はいずれも右打ち。上野投手のシュートは、打者の体に向かうように曲がる。死球になれば1点となる場面だ。 しかし、峰選手は上野投手の世界一のコントロールを信じていた。「あの時は強気でした。死球になることは全く考えていませんでした。内角へのシュートしかないと強く思っていたくらいです」 一方で、冷静でもあった。この時、投球の間に、峰選手は何度もアメリカベンチを見ている。「打者にどんな指示を送っているのかをチェックしていました」 2人の打者をいずれもシュートで内野フライに打ち取り、ピンチを乗り切った。 上野投手がガッツポーズしながら、マウンドから走り下りてくる。峰選手は駆け寄って、ミットを軽く上野投手の体に押し当てて「ナイスピッチング!」と声をかけた。峰選手は、「今まで準備してきたことが、勝負所で発揮できて最高でした」と語る。 5 hours ago · 日本の先発投手は上野由岐子、アメリカの先発は北京大会と同じキャット・オスターマン、リリーフのモニカ・アボットも北京で金メダルを争ったライバルだった。 Dec 06, 2018 · 2008年北京オリンピック・ソフトボール。 日本のエース上野由岐子は決勝トーナメント3試合を完投。 2日間で413球を投げ抜き優勝に導いた名シーンを紹介する。
Dec 06, 2018 · 2008年北京オリンピック・ソフトボール。 日本のエース上野由岐子は決勝トーナメント3試合を完投。 2日間で413球を投げ抜き優勝に導いた名シーンを紹介する。 18 hours ago · ソフトボール上野由岐子 <東京オリンピック(五輪):ソフトボール・日本2-0米国>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム 日本が米国を下し、前回実施された2008年北京五輪に続く金メダルを獲得した。 See full list on yomiuri.co.jp Feb 28, 2018 · 女子ソフトボール日本代表のエース上野由岐子の"熱投"は、数あるオリンピックの名場面の一つとして人々の心に深く刻まれている。 2008年北京オリンピック。 See full list on yomiuri.co.jp
Feb 28, 2018 · 女子ソフトボール日本代表のエース上野由岐子の"熱投"は、数あるオリンピックの名場面の一つとして人々の心に深く刻まれている。 2008年北京オリンピック。 See full list on yomiuri.co.jp Dec 06, 2018 · 2008年北京オリンピック・ソフトボール。 日本のエース上野由岐子は決勝トーナメント3試合を完投。 2日間で413球を投げ抜き優勝に導いた名シーンを紹介する。 愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 5 hours ago · 26歳で北京五輪を制し、39歳で迎えた東京五輪でも頂点に立った。 13年間で上野由岐子(ビックカメラ高崎)の何が変わったのか。 More images for 上野由岐子 北京オリンピック » 峰選手はリードを買われ、正捕手となっていた。どんな球をどのコースに投げるのか。配球は上野投手から一任されていた。 隠していた秘密兵器は「シュート」だった。銅メダルに終わった04年のアテネオリンピックの後、アメリカ打線を抑えるにはどうしたらよいかを考え、身に付けた変化球だ。 そのアメリカ戦、峰選手は「ボールの中で一番切れがあった」と秘密兵器に手ごたえを感じていた。右打者は、シュートが内角に食い込んでくるため、外角の球を打つ時に腰が引け、踏み込めなくなっていた。 左打者は、シュートが外にキレ良く曲がるので、ストライクかボールか見分けにくそうで、内角のストレートと組み合わせる配球で、狙い球を絞らせなかった。 シュートを武器にアメリカ打線を封じ込め、延長の八回まで0点に抑えた。しかし、日本も得点が奪えず。九回を迎えた。 Jul 09, 2019 · 1982年7月22日に福岡県で産声をあげた上野由岐子は、オリンピックには2度出場している。 2004年のアテネ五輪では銅メダル、2008年の北京五輪では悲願の金メダルを獲得した。
5 hours ago · 26歳で北京五輪を制し、39歳で迎えた東京五輪でも頂点に立った。 13年間で上野由岐子(ビックカメラ高崎)の何が変わったのか。
峰選手はリードを買われ、正捕手となっていた。どんな球をどのコースに投げるのか。配球は上野投手から一任されていた。 隠していた秘密兵器は「シュート」だった。銅メダルに終わった04年のアテネオリンピックの後、アメリカ打線を抑えるにはどうしたらよいかを考え、身に付けた変化球だ。 そのアメリカ戦、峰選手は「ボールの中で一番切れがあった」と秘密兵器に手ごたえを感じていた。右打者は、シュートが内角に食い込んでくるため、外角の球を打つ時に腰が引け、踏み込めなくなっていた。 左打者は、シュートが外にキレ良く曲がるので、ストライクかボールか見分けにくそうで、内角のストレートと組み合わせる配球で、狙い球を絞らせなかった。 シュートを武器にアメリカ打線を封じ込め、延長の八回まで0点に抑えた。しかし、日本も得点が奪えず。九回を迎えた。 See full list on yomiuri.co.jp 18 hours ago · ソフトボール上野由岐子 <東京オリンピック(五輪):ソフトボール・日本2-0米国>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム 日本が米国を下し、前回実施された2008年北京五輪に続く金メダルを獲得した。 アメリカに敗れてから約5時間後にオーストラリア戦が始まった。上野投手が先発した。初回から1点取られるなど、立ち上がりは思わしくなかった。 日本は四回に2点を奪って逆転。そして最終回の七回、2死まで取り、あと一人で決勝進出というところまで来た。 しかし、そこで同点ホームランを打たれてしまう。 峰選手は「簡単には勝たせてくれない。これがオリンピックか、と思いました。また、少しでも気を抜いた方が負けるんだ」と気持ちを入れ直した。 延長タイブレークに突入。結果的に日本はサヨナラ勝ちをするが、上野投手は十二回までの5回を余分に投げることになってしまう。 この日2試合で318球を投げた後遺症は大きかった。ボールに回転を伝えるために最も大切な右手中指の皮がはがれ、肉がむき出しの状態になってしまったのだ。 心配させまいと、上野投手はチームメイトに知られないようにしていたが、峰選手には打ち明けていた。峰選手は「オーストラリア戦の後、選手村で指の状態を見せてもらいました。もう投げられないんじゃないかと思いました」と振り返る。 しかし、アメリカを抑えられるのは上野投手しかいなかった。峰選手は「上野さんの疲労も指の具合も心配でしたので、力勝負はできないと配球のプランを変えることにしました」 More images for 上野由岐子 北京オリンピック » 日本の前に立ちはだかったのが、アメリカの主砲・バストス選手だった。峰選手は「もともと凄(すご)い選手なのに、この大会ではバットに当たればヒット、ホームランと絶好調。要マーク人物でした」と振り返る。 選手村で見た光景も強烈だった。「マクドナルドでビッグマックセットを三つも注文して、それを10分で食べていました」。右打席に立つ大きな体は威圧感があった。「隙がなかったです。少しでも甘いコースにいけば、打たれると感じていました。ホームランじゃなければokと考えていました」 九回、1点を取られた後、ランナーを2人置いた状況でバストス選手が打席に入った。 内角低めの速球をすくいあげるように打たれ、レフトスタンドに豪快に叩き込まれた。最も恐れていたホームランを打たれ1対4でこの試合に敗れた。 試合後、峰選手は「上野さんの球は良かった。私の配球ミスです」と悔やんだ。 Dec 06, 2018 · 2008年北京オリンピック・ソフトボール。 日本のエース上野由岐子は決勝トーナメント3試合を完投。 2日間で413球を投げ抜き優勝に導いた名シーンを紹介する。 See full list on yomiuri.co.jp 1点のリードを保ったまま、六回裏を迎えた。 先頭打者にヒットを打たれ、1死2塁で再びバストス選手を迎える。勝負するのか、敬遠か。選手、監督がマウンドに集まった。 上野投手はここで「敬遠」を選択する。チームの勝利を優先し、真っ向勝負は避けた。 峰選手は「上野さんと同じ気持ちで『ここが勝負所だ』と思い、円陣の中で敬遠を確認しました」。しかし、続くバッターを四球で出塁させてしまい1死満塁。最大のピンチを迎え、再び内野手がマウンドに集まった。 内野手が上野投手と峰選手に「打たせてもいいから、思い切りいこう」と声をかけてきた。これで仲間を信じて勝負球を投げることができる。もちろんそれは、この日のために磨き上げてきたシュートだった。 続く2人の打者はいずれも右打ち。上野投手のシュートは、打者の体に向かうように曲がる。死球になれば1点となる場面だ。 しかし、峰選手は上野投手の世界一のコントロールを信じていた。「あの時は強気でした。死球になることは全く考えていませんでした。内角へのシュートしかないと強く思っていたくらいです」 一方で、冷静でもあった。この時、投球の間に、峰選手は何度もアメリカベンチを見ている。「打者にどんな指示を送っているのかをチェックしていました」 2人の打者をいずれもシュートで内野フライに打ち取り、ピンチを乗り切った。 上野投手がガッツポーズしながら、マウンドから走り下りてくる。峰選手は駆け寄って、ミットを軽く上野投手の体に押し当てて「ナイスピッチング!」と声をかけた。峰選手は、「今まで準備してきたことが、勝負所で発揮できて最高でした」と語る。 Jul 09, 2019 · 1982年7月22日に福岡県で産声をあげた上野由岐子は、オリンピックには2度出場している。 2004年のアテネ五輪では銅メダル、2008年の北京五輪では悲願の金メダルを獲得した。 See full list on yomiuri.co.jp 愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 峰選手は体の疲労は感じなかったが、脳は疲れていた。それでも、決勝でのアメリカ戦の配球を考えた。 実は、負けたアメリカとの試合で手ごたえを感じていたのだ。「相手打者が、どのカウントで強いスイングをしてくるのか、どの球種を狙ってきているのかを知ることができました。苦手とする球種もよくわかりました」 こうしたデータを分析し、「相手打者に狙いを絞らせない」「かわすところ、攻めるところのバランスを良くする」ことを心がけようと決めた。 そして、アメリカ打線に通用したシュートを「攻める時、困った時に強気で使う」ことを決めたのだ。 疲労の残る上野投手に、「世界一の剛速球」は期待できない状況だった。実際、決勝のアメリカ戦の最速は107キロで、1日目よりも5キロ落ちていた。このため、配球のプランは「打たせて取る」。「相手打者の嫌がるゾーンを丁寧に攻めようと考えていました」 峰選手は、上野投手が持つもう一つの世界一の能力「コントロールの良さ」を信じ、最大限に生かそうと決めていた。
峰選手は体の疲労は感じなかったが、脳は疲れていた。それでも、決勝でのアメリカ戦の配球を考えた。 実は、負けたアメリカとの試合で手ごたえを感じていたのだ。「相手打者が、どのカウントで強いスイングをしてくるのか、どの球種を狙ってきているのかを知ることができました。苦手とする球種もよくわかりました」 こうしたデータを分析し、「相手打者に狙いを絞らせない」「かわすところ、攻めるところのバランスを良くする」ことを心がけようと決めた。 そして、アメリカ打線に通用したシュートを「攻める時、困った時に強気で使う」ことを決めたのだ。 疲労の残る上野投手に、「世界一の剛速球」は期待できない状況だった。実際、決勝のアメリカ戦の最速は107キロで、1日目よりも5キロ落ちていた。このため、配球のプランは「打たせて取る」。「相手打者の嫌がるゾーンを丁寧に攻めようと考えていました」 峰選手は、上野投手が持つもう一つの世界一の能力「コントロールの良さ」を信じ、最大限に生かそうと決めていた。 峰選手はリードを買われ、正捕手となっていた。どんな球をどのコースに投げるのか。配球は上野投手から一任されていた。 隠していた秘密兵器は「シュート」だった。銅メダルに終わった04年のアテネオリンピックの後、アメリカ打線を抑えるにはどうしたらよいかを考え、身に付けた変化球だ。 そのアメリカ戦、峰選手は「ボールの中で一番切れがあった」と秘密兵器に手ごたえを感じていた。右打者は、シュートが内角に食い込んでくるため、外角の球を打つ時に腰が引け、踏み込めなくなっていた。 左打者は、シュートが外にキレ良く曲がるので、ストライクかボールか見分けにくそうで、内角のストレートと組み合わせる配球で、狙い球を絞らせなかった。 シュートを武器にアメリカ打線を封じ込め、延長の八回まで0点に抑えた。しかし、日本も得点が奪えず。九回を迎えた。 See full list on yomiuri.co.jp 世界は「打倒・上野」を目標に配球データを集め、分析して対策を練ってきていた。しかし、峰選手は「私の配球のデータはあまり分析されていなかった。アメリカが『あれ?』と苦戦する感じがわかりました」という。 さらに、上野投手をサポートするために、細かく動きまわった。一度内角に構え、そこでミットをパンパンと叩く。内角に構えてそこに投げさせると打者に思わせて、実は外角に投げさせる。その逆もある。こうして、コースを打者に読ませない工夫もしていた。 日本は三回表に先制し、四回表に追加点を奪う。上野投手はアメリカ打線を三回裏まで0点に抑えた。 そして、2点リードした四回裏。ランナーなしの状況で、バストス選手を迎える。 真っ向勝負を挑んだが、外角低めに投じた速球を拾われ、今度はライトスタンドに運ばれた。 See full list on yomiuri.co.jp
5 hours ago · 26歳で北京五輪を制し、39歳で迎えた東京五輪でも頂点に立った。 13年間で上野由岐子(ビックカメラ高崎)の何が変わったのか。 1点のリードを保ったまま、六回裏を迎えた。 先頭打者にヒットを打たれ、1死2塁で再びバストス選手を迎える。勝負するのか、敬遠か。選手、監督がマウンドに集まった。 上野投手はここで「敬遠」を選択する。チームの勝利を優先し、真っ向勝負は避けた。 峰選手は「上野さんと同じ気持ちで『ここが勝負所だ』と思い、円陣の中で敬遠を確認しました」。しかし、続くバッターを四球で出塁させてしまい1死満塁。最大のピンチを迎え、再び内野手がマウンドに集まった。 内野手が上野投手と峰選手に「打たせてもいいから、思い切りいこう」と声をかけてきた。これで仲間を信じて勝負球を投げることができる。もちろんそれは、この日のために磨き上げてきたシュートだった。 続く2人の打者はいずれも右打ち。上野投手のシュートは、打者の体に向かうように曲がる。死球になれば1点となる場面だ。 しかし、峰選手は上野投手の世界一のコントロールを信じていた。「あの時は強気でした。死球になることは全く考えていませんでした。内角へのシュートしかないと強く思っていたくらいです」 一方で、冷静でもあった。この時、投球の間に、峰選手は何度もアメリカベンチを見ている。「打者にどんな指示を送っているのかをチェックしていました」 2人の打者をいずれもシュートで内野フライに打ち取り、ピンチを乗り切った。 上野投手がガッツポーズしながら、マウンドから走り下りてくる。峰選手は駆け寄って、ミットを軽く上野投手の体に押し当てて「ナイスピッチング!」と声をかけた。峰選手は、「今まで準備してきたことが、勝負所で発揮できて最高でした」と語る。 See full list on yomiuri.co.jp 世界は「打倒・上野」を目標に配球データを集め、分析して対策を練ってきていた。しかし、峰選手は「私の配球のデータはあまり分析されていなかった。アメリカが『あれ?』と苦戦する感じがわかりました」という。 さらに、上野投手をサポートするために、細かく動きまわった。一度内角に構え、そこでミットをパンパンと叩く。内角に構えてそこに投げさせると打者に思わせて、実は外角に投げさせる。その逆もある。こうして、コースを打者に読ませない工夫もしていた。 日本は三回表に先制し、四回表に追加点を奪う。上野投手はアメリカ打線を三回裏まで0点に抑えた。 そして、2点リードした四回裏。ランナーなしの状況で、バストス選手を迎える。 真っ向勝負を挑んだが、外角低めに投じた速球を拾われ、今度はライトスタンドに運ばれた。 See full list on yomiuri.co.jp 峰選手はリードを買われ、正捕手となっていた。どんな球をどのコースに投げるのか。配球は上野投手から一任されていた。 隠していた秘密兵器は「シュート」だった。銅メダルに終わった04年のアテネオリンピックの後、アメリカ打線を抑えるにはどうしたらよいかを考え、身に付けた変化球だ。 そのアメリカ戦、峰選手は「ボールの中で一番切れがあった」と秘密兵器に手ごたえを感じていた。右打者は、シュートが内角に食い込んでくるため、外角の球を打つ時に腰が引け、踏み込めなくなっていた。 左打者は、シュートが外にキレ良く曲がるので、ストライクかボールか見分けにくそうで、内角のストレートと組み合わせる配球で、狙い球を絞らせなかった。 シュートを武器にアメリカ打線を封じ込め、延長の八回まで0点に抑えた。しかし、日本も得点が奪えず。九回を迎えた。 愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 18 hours ago · ソフトボール上野由岐子 <東京オリンピック(五輪):ソフトボール・日本2-0米国>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム 日本が米国を下し、前回実施された2008年北京五輪に続く金メダルを獲得した。
See full list on yomiuri.co.jp
Feb 28, 2018 · 女子ソフトボール日本代表のエース上野由岐子の"熱投"は、数あるオリンピックの名場面の一つとして人々の心に深く刻まれている。 2008年北京オリンピック。 18 hours ago · ソフトボール上野由岐子 <東京オリンピック(五輪):ソフトボール・日本2-0米国>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム 日本が米国を下し、前回実施された2008年北京五輪に続く金メダルを獲得した。 See full list on yomiuri.co.jp See full list on yomiuri.co.jp アメリカに敗れてから約5時間後にオーストラリア戦が始まった。上野投手が先発した。初回から1点取られるなど、立ち上がりは思わしくなかった。 日本は四回に2点を奪って逆転。そして最終回の七回、2死まで取り、あと一人で決勝進出というところまで来た。 しかし、そこで同点ホームランを打たれてしまう。 峰選手は「簡単には勝たせてくれない。これがオリンピックか、と思いました。また、少しでも気を抜いた方が負けるんだ」と気持ちを入れ直した。 延長タイブレークに突入。結果的に日本はサヨナラ勝ちをするが、上野投手は十二回までの5回を余分に投げることになってしまう。 この日2試合で318球を投げた後遺症は大きかった。ボールに回転を伝えるために最も大切な右手中指の皮がはがれ、肉がむき出しの状態になってしまったのだ。 心配させまいと、上野投手はチームメイトに知られないようにしていたが、峰選手には打ち明けていた。峰選手は「オーストラリア戦の後、選手村で指の状態を見せてもらいました。もう投げられないんじゃないかと思いました」と振り返る。 しかし、アメリカを抑えられるのは上野投手しかいなかった。峰選手は「上野さんの疲労も指の具合も心配でしたので、力勝負はできないと配球のプランを変えることにしました」 See full list on yomiuri.co.jp 18 hours ago · 地元の中高年ファン50~60人が見守る中、野太い声援を受けてマウンドに立ったのは、北京五輪で女子ソフトボール日本代表を金メダルに導いた立役者、上野由岐子投手(30)。 世界は「打倒・上野」を目標に配球データを集め、分析して対策を練ってきていた。しかし、峰選手は「私の配球のデータはあまり分析されていなかった。アメリカが『あれ?』と苦戦する感じがわかりました」という。 さらに、上野投手をサポートするために、細かく動きまわった。一度内角に構え、そこでミットをパンパンと叩く。内角に構えてそこに投げさせると打者に思わせて、実は外角に投げさせる。その逆もある。こうして、コースを打者に読ませない工夫もしていた。 日本は三回表に先制し、四回表に追加点を奪う。上野投手はアメリカ打線を三回裏まで0点に抑えた。 そして、2点リードした四回裏。ランナーなしの状況で、バストス選手を迎える。 真っ向勝負を挑んだが、外角低めに投じた速球を拾われ、今度はライトスタンドに運ばれた。 日本の前に立ちはだかったのが、アメリカの主砲・バストス選手だった。峰選手は「もともと凄(すご)い選手なのに、この大会ではバットに当たればヒット、ホームランと絶好調。要マーク人物でした」と振り返る。 選手村で見た光景も強烈だった。「マクドナルドでビッグマックセットを三つも注文して、それを10分で食べていました」。右打席に立つ大きな体は威圧感があった。「隙がなかったです。少しでも甘いコースにいけば、打たれると感じていました。ホームランじゃなければokと考えていました」 九回、1点を取られた後、ランナーを2人置いた状況でバストス選手が打席に入った。 内角低めの速球をすくいあげるように打たれ、レフトスタンドに豪快に叩き込まれた。最も恐れていたホームランを打たれ1対4でこの試合に敗れた。 試合後、峰選手は「上野さんの球は良かった。私の配球ミスです」と悔やんだ。 峰選手はリードを買われ、正捕手となっていた。どんな球をどのコースに投げるのか。配球は上野投手から一任されていた。 隠していた秘密兵器は「シュート」だった。銅メダルに終わった04年のアテネオリンピックの後、アメリカ打線を抑えるにはどうしたらよいかを考え、身に付けた変化球だ。 そのアメリカ戦、峰選手は「ボールの中で一番切れがあった」と秘密兵器に手ごたえを感じていた。右打者は、シュートが内角に食い込んでくるため、外角の球を打つ時に腰が引け、踏み込めなくなっていた。 左打者は、シュートが外にキレ良く曲がるので、ストライクかボールか見分けにくそうで、内角のストレートと組み合わせる配球で、狙い球を絞らせなかった。 シュートを武器にアメリカ打線を封じ込め、延長の八回まで0点に抑えた。しかし、日本も得点が奪えず。九回を迎えた。 愛称は「うえぴー」。 アテネオリンピック 銅メダリスト、 北京オリンピック ・ 東京オリンピック 金メダリスト。 九州女子高等学校(現・ 福岡大学附属若葉高等学校 )出身、 ビックカメラ女子ソフトボール高崎 所属。 Jul 09, 2019 · 1982年7月22日に福岡県で産声をあげた上野由岐子は、オリンピックには2度出場している。 2004年のアテネ五輪では銅メダル、2008年の北京五輪では悲願の金メダルを獲得した。 1点のリードを保ったまま、六回裏を迎えた。 先頭打者にヒットを打たれ、1死2塁で再びバストス選手を迎える。勝負するのか、敬遠か。選手、監督がマウンドに集まった。 上野投手はここで「敬遠」を選択する。チームの勝利を優先し、真っ向勝負は避けた。 峰選手は「上野さんと同じ気持ちで『ここが勝負所だ』と思い、円陣の中で敬遠を確認しました」。しかし、続くバッターを四球で出塁させてしまい1死満塁。最大のピンチを迎え、再び内野手がマウンドに集まった。 内野手が上野投手と峰選手に「打たせてもいいから、思い切りいこう」と声をかけてきた。これで仲間を信じて勝負球を投げることができる。もちろんそれは、この日のために磨き上げてきたシュートだった。 続く2人の打者はいずれも右打ち。上野投手のシュートは、打者の体に向かうように曲がる。死球になれば1点となる場面だ。 しかし、峰選手は上野投手の世界一のコントロールを信じていた。「あの時は強気でした。死球になることは全く考えていませんでした。内角へのシュートしかないと強く思っていたくらいです」 一方で、冷静でもあった。この時、投球の間に、峰選手は何度もアメリカベンチを見ている。「打者にどんな指示を送っているのかをチェックしていました」 2人の打者をいずれもシュートで内野フライに打ち取り、ピンチを乗り切った。 上野投手がガッツポーズしながら、マウンドから走り下りてくる。峰選手は駆け寄って、ミットを軽く上野投手の体に押し当てて「ナイスピッチング!」と声をかけた。峰選手は、「今まで準備してきたことが、勝負所で発揮できて最高でした」と語る。
アメリカに敗れてから約5時間後にオーストラリア戦が始まった。上野投手が先発した。初回から1点取られるなど、立ち上がりは思わしくなかった。 日本は四回に2点を奪って逆転。そして最終回の七回、2死まで取り、あと一人で決勝進出というところまで来た。 しかし、そこで同点ホームランを打たれてしまう。 峰選手は「簡単には勝たせてくれない。これがオリンピックか、と思いました。また、少しでも気を抜いた方が負けるんだ」と気持ちを入れ直した。 延長タイブレークに突入。結果的に日本はサヨナラ勝ちをするが、上野投手は十二回までの5回を余分に投げることになってしまう。 この日2試合で318球を投げた後遺症は大きかった。ボールに回転を伝えるために最も大切な右手中指の皮がはがれ、肉がむき出しの状態になってしまったのだ。 心配させまいと、上野投手はチームメイトに知られないようにしていたが、峰選手には打ち明けていた。峰選手は「オーストラリア戦の後、選手村で指の状態を見せてもらいました。もう投げられないんじゃないかと思いました」と振り返る。 しかし、アメリカを抑えられるのは上野投手しかいなかった。峰選手は「上野さんの疲労も指の具合も心配でしたので、力勝負はできないと配球のプランを変えることにしました」 上野由岐子. See full list on yomiuri.co.jp
0 Komentar